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 なかろうか?
そしていつかまたかならずやってきそうに思
 われるのだ。

私の親父から私にいのちの恐怖がつたわり
私から私の子供に血の伝統がながれ

ああ、人間は永遠に悲しいしぐさをくりかえ
 さねばならぬのか。

〈昭和六年、愛誦〉

破笛抱きて

道はじめじめと陰惨な泥濘地帯につづけり。
沓ろか明るい燈火がみえ、一歩踏み込むと
深海の昆布のように足にまつわりつく雑草しこぐさ
 茂り
ときとして氷霰あられまじりの雷鳴が咆哮する。

太陽も透さぬ頭上の森林からは
恐ろしや吸血のヒルが若き旅人のうなじを覗い
つい、踏みちがえればとりかえしのつかぬ奈
 落へ沈みゆく。

ぼうぼうと乳霧こむる夜は
ゆくての燈火遠ざかり近づき
たえず花火センコーのように明滅するので
若き旅人はまみ病みて盲目となる。

いまはもう歩み疲れて夜もふけて、路傍の石
 に腰おろす。
想念おもいはそぞろに去日こぞの道ふりかえり ふりか
 えり
ああ、夢にのみ団欒まどかに故郷ふるさとの山嶺をなつか
 しむ。

――追憶は緑青の並樹繁交い
  草むら豊壌ゆたかに、タンポポ、スミレなど
  丘いちめんに満ち溢ふるる光芒よ!
  漂う白雲よ! ヒバリよ! カゲロウよ
  !
  蒼穹晴れて、ああ南国の微風は香る春の
  ほほえみ。
その日、幽婉に蝶は舞い、小鳥は歌い
父は悠々煙草くゆらし、終日ひねもす畑を打ち
母は慈愛の麦笛を児等にあたえた。
かくて来る日も来る日も
児等はうちつれて山野を駆けり
うち囃し、うち興じ、麦笛を抱いて神の白羊
 にたわむれたが――

夜半の嵐に砂時圭はゆみなくこぼれて、見
 はてぬ夢のさびしさよ。
笛傷つけて、ひとりの姉は泥沼に沈みて浮か
 ばず
のこる三人みたり兄弟はらからは、鳴らぬ笛抱きて今日も
 旅路に踏みよう。

いまし黎明のガスの晴間に この瞬間ひま
年老いし父母よ! 兄弟よ! 愛しき恋のユ
 リアンよ!
かくも貧しき路づれのおさななじみの友達よ!
面うなだれて蒼ざめて
急げや春は眞理の燈火めざして――。

〈昭和六年、愛誦〉

冬から冬へ

ハコダテの雪の波止場で
風の便りにオッカアの死を聞いた。

金持ちの親類は
誰も知って知らぬふり、
 オッカアは納屋のすみっこで蝀のように飢
 えて痩せて死んだとよ。
悲しいではないか。腹立たしいではないか。