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て彼等に怨恨を喚び起こしたるは之れを知らざるに非ず、又た之れを悲しみ之れを恐れたり。然りと雖余は必然の下にあり――謂へらく神の言語は先づ之れを心とせざる可からずと。而して自ら云うて曰く、余はかの知れる所あるが如き一切の人々を訪問し、以つて神託の意味を見出さゞる可からずと、アテーナイ人諸君、余は諸君に誓はん、余は犬なる神かけて誓はん、――何となれば余は眞理を語らざる可からざればなり――余の使命の結果は正に此くの如くなりき、――最も有名なる人々は最も愚昧なるものにして、所謂劣れる所の人々は、寧ろ眞に賢にして優れることを余は發見せり。余は自己の此の苦心慘憺たる東奔西走の歷訪を稱して『ヘーラクレース』的勞苦と謂ふ、勞苦に堪えて遂に神託の詐らざるを發見せり。余は今ま此歷訪の談話を試みんか。余は諸政治家を訪問したる後、詩人を訪問し、悲劇詩家、宴樂詩家、其他一切の種類の詩人を訪問せり。時に余は自ら自己に謂うて曰く、ソークラテースよ、汝は必ず論破さるゝならん、此の度こそ汝は彼等よりも愚なることを曉るべしと。是に於て余は彼等の作る所の、秀逸中の一篇を撰びて、其の詩は果して何を意味せるやを