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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/95

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以て無限者そのものの實在することを證せむとせる也。

彼れは更に少しく別なる言ひ方を以て神の存在の論證を爲せり。曰はく、我れの存在より推して神の存在を證するを得べし。何者か我れをして存在せしめたる、我れは我れ自ら隨意に出で來たれる者に非ざるが故に自身を以て我が存在の原因とは見ること能はず。然らば我れ以外の者、しかも我れと等しく限りある者、例へば父母が我れを存在せしめたる原因なるか。曰はく、是れはた原因と見るべからず何となれば我れは多くの完全なる事柄の觀念(例へば限りなき智、限りなき力、限りなき德といふ如き觀念)を有す、而して上に述べたる理由によりて知らるゝ如く其の如き觀念を有する我れの十分なる原因となるはその如き完全なる事柄を具へたる者ならざる可からず、我れ及び我が父母は不完全なる者にして能くその如き完全なる事柄の觀念の原因たる能はず。故に我れ(即ち完全なる事柄の觀念を有する我れ)を存在せしめたるは完全なる者即ち神ならざる可からず。是に於いてか知る、我れを生ぜしめ我れを保つ者として無限者の無かる可からざるを。

デカルトは尙ほ他に神の存在の證明を揭げたり。以爲へらく、神てふ觀念そのも