Page:Onishihakushizenshu04.djvu/457

提供:Wikisource
このページは校正済みです

又自己の存在を保存する諸物が因果の關係を成して相動くことあるのみ、其れらが或宜しき目的にかなへりと云ひ又は然らずと云ひ、其が善美なる秩序を現はし居ると云ひ又は然らずといふは、是れ畢竟吾人の主觀的に思ひ設けたる標準に照らして吾人の思ひ設けたる差別に外ならず。

人間に於ける事も凡べて悉く物理的運動の法則によりて說明すべきものなり。心理學も倫理學も詮ずれば物理學に外ならず。感覺は腦分子の運動にして其の運動は例へば醱酵する時に又は營養作用の行はるゝ時に行はるゝ運動の如きものなり。感覺を有せざる物質分子が相結合する所に感覺と謂ふもの生じ來たる(如何に純然たる唯物論の明言されたるかを見よ)而して吾人の凡べての心作用は皆感覺を本として起こりたるものなり(こゝに感覺論の攝取されたるを見よ)。

物理界に於いて惰性と名づけらるゝものは人間に於いては自衞の性となり、前者に於ける牽引力及び反撥力は後者に於いては愛憎の情となる、彼れと是れとは詮ずれば一なり。吾人が自然法に從うて我が目的を達せむには如何なる方法を取るべきかといふことの規定さるゝところに義務の觀念は基づけり、盖し義務とは