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空隙を隔てゝ一物が他物に働くといふことを考へ得られざることとなし、引力といふもののある所以をば遂に物質の衝擊(impulsus)を以て說かむとしたるなり。されど其の謂ふエーテル的物質も本より一の臆說として提出せるに過ぎずして要するに引力の原因には論じ入らざりしなり。

《ニュートン對ロバート、ボイル及びライブニッツ。》〔五〕物界を全く機械的に考ふることはニュートンの心に於いては宇宙全體を造化主の所作と見ることと全く調和したり。目的觀と機械觀とを調和せむとすることがライブニッツの哲學の一大目的なりしことは已に云へる如くなるが、ロックの友人にして原子論を化學に入れて其の學に新時期を開きし有名なる化學者ロバート、ボイル(Robert Boyle 一六二六―一六九一)また化學上宇宙を一の機械と見ることを容し且つ盛んに學術硏究の自由を主張したると共に又熱心に知性ある造物生の存在を主張し宇宙てふ機關は其れを造り其れに最初の動力を與へたる者の存在を示すと唱へて無神論及び非目的說を排擊せり、即ちボイルの意見にても、科學上の機械說と宇宙全體を目的觀の上より見ることとは決して衝突するものにあらずとなし其の原子といふ觀念を入れて科學上の說明を爲さむ