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して彼れが最初の大著に論じたる其の哲學を更に世間に發表せむが爲めに之れを改竄して論集の中に入れたり。最初の大著の第一卷("Of the Understanding")は『論集』第二卷に "Philosophical Essays concerning Human Understanding" とせられ、前者の第二卷("Of Passions")は『論集』の第五卷に "Dissertation of the Passions"とせられ、前者の第三卷("Of Morals")は『論集』第三卷に "An Inquiry concerning the Principles of Morals" と改められたり。ヒューム自らは其の熟成したる思想は彼れが最初の著作にあらずして後の『論集』に在りと云へど後のヒュームを論ずるもの多くは其の論集に書き替へたるものを以て哲學上の價値に於いて劣れりとなす。彼れが銳利なる批評を以て從來の神學及び哲學に於ける主要なる觀念を打破したる論の中『論集』に於いては幾分微弱となり且つ全く省かれたるもあり。彼れが何故にしかなしゝかに就きては後人の說く所一ならざれど、畢竟彼れが前說を飜しゝにあらずして唯だ時人の惡意を買ふことを避け成るべく一般の讀者に入り易からしめむと力めたるならむと考へらる。一千七百四十七年にはクレール將軍(St. Clair)に從うて維納及びテューリンの宮庭に使しき。彼れが最初の著作を論集の中に書き更ふることに從事