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ざりしかど其の何たるかを知るべからずといふ所より其の所說のデカルトとは異なれる趣を帶ぶるに至れるなり。

《關係の觀念とは如何、聯想。》〔一一〕關係の觀念は一物と他物とを比較する所に吾人の想起する所のものにして一事物そのものに存するにはあらず。此の關係の觀念の中最も主要なる者の一に因果といふ觀念あり、盖し一物又は其の變動によりて他物又は其の變動の生ぜらるゝを見る所に彼れを因とし是れを果とする觀念の浮かび來たるなり。次ぎに同一異別といふも關係の觀念にして二物が同時に同一の空間を占領すること能はざるが故に同時に同一の空間を占領するものは其れ自身に同じきものとせられ之れに對して他は異別のものとせらる。無機物に於いて同一といふは同時に同處を占領する物體の部分に在り、生物に於いて同一といふは其の部分が新陳代謝しながら猶ほ其の組織の同樣に保たるゝをいひ、而して人格の同一と云ふは意識の繼續することに在りて心の本體の同一といふこととは異なり、何となれば假令心の本體は異なりとも若し記憶によりて一より他へ同一なる意識の繼續さるれば人格上同一のものといふべく、又本體は同一のものにても意識全く斷