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べての法理を論じ出だすことを得と。

《「ライブニッツ・ヺルフ學派」》〔七〕ヺルフが哲學の大要は以上叙述せる所によりて知るを得べし。而して彼れの哲學は整然たる組織を成し且つ何人も採用し易き硏究法を以て說き出だせるものなるの故を以て一時獨逸の學問界は靡然として之れに傾き茲に所謂「ライブニッツ・ヺルフ學派」を成し、アンドレアス、リューディゲル(Andreas Rüdiger 一六七三―一七三一)クリスチアン、アウグスト、クルーシウス(Christian August Crusius 一七一二―一七七六)等の如きありて多少之れに抗して反對の聲を學げしかども獨逸の哲學界はなべて此の學派の押領する所となれり。今此の學派に屬せる者の中、著名なる人々を擧ぐればルードヸヒ、ヒリップ、ティュムミヒ(Rudwig Philipp Thümmig 一六九七―一七二八)ゲオルグ、ベルンハルド、ビルフィンゲル(Georg Bernhard Birfinger 一六九三―一七五〇、此の人始めてライブニッツ・ヺルフ學派といふ名稱を用ゐたり)アレクサンデル、ゴットリーブ、バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten)ゲオルグ、フリードリヒ、マイエル(Georg Friedrich Meier 一七一八―一七七七)等にして中に就き最も吾人の注意を惹くべきをバウムガルテンとす。