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ブスに對しても異なる見地を取りて、ホッブス等の云ふが如く物體の運動によりて心の現象の生ずといふは吾人の了解し得ざる所なりとし、唯物論風に心の現象が物體によりて生ぜらると云ふも、又心物二元を措きて二者互に相影響するかの如く云ふも、畢竟吾人の明瞭に了解せざることを言ふに外ならず、一本體の二面として始めて心物の關係を明らかに了解するを得べしと考へたる也。

《心物の關係。》〔一〇〕斯く心と物とは相應ずるものなるが故にスピノーザは心に於ける順序と物に於ける順序とは同一なり(ordo rerum idem ac ordo idearum)と說き、其の意を說明して曰はく、例へば吾人の心に於ける圓といふ觀念には物體上圓といふ形の應ずるあるが如し、即ち吾人の思ひ浮かぶる所は之れを物體の上にて云へば種々の形及び種々の動靜となる、換言すれば、物界に存在する(esse formaliter)と吾人の心に念ひ浮かべらるゝ(objective)とは相應ずるものなりと。

されどスピノーザの心物の關係を論ずるや其の思想には知識上の論と心理上の論と相混淆せり。彼れは先づ心物の相應ずる關係を以て吾人の思ひ浮かべたる圓と物界の圓との關係の如しと論じもて行くと共に、またこゝに吾人の念と念の