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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/123

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《ジューランクスの道德論。》〔四〕此くの如く心に於いて又物體に於いて起こる一切の變動の眞因は神の外になしといふことを取りてジューランクスは之れを逍德論に應用せり。曰はく、吾人は我が意志を以て即ち我れが原因となりて外界を變ずること能はず、我等は物界の變化に對しては寧ろ唯だ之れを傍觀する位置に在るものなり。故に吾人が力の爲し得ざる事に對しては須らく其の事を爲さむとする欲望を抛擲すべし。吾人は天命に安んじ、外界に懸かる欲念を棄て、知識の外に意志を馳せしむること無く常に安慰を我が心中に發見すべきなりと。

《萬有神說への一轉步。》〔五〕かゝる論が森羅萬象を悉く神に懸かりて在る者とし、個々物をば獨立自存する者に非ず唯だ神の存在に與ることに於いて始めて存在するものとして萬有神敎的傾向に進み行くことは其の自然に取るべき發達の順序なり。ジューランクス自らも旣に此の傾向に一步を進めて、吾人は神の心に與る所あるによりて存在する者なり、神は限りなき心、吾人は限りある心、云はば、神の心に限界を附して之れを個々に分かれたるものと見れば是れ吾人の心にして、吾人の心より限界を取り去ればこゝに限りなき神の心在り、恰も限りたる空間即ち個々の物體が限り