コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/114

提供:Wikisource
このページは校正済みです

造せむと志したれども彼れも流石に中世紀の思想と全く一時に相絕つを得ざりしこと是れなり。即ち彼れが思想中、中世紀の遺產と見るべき者あり、而してこれが彼れの論步を進むるに隨うて知らず頭を擡げ來たれるを發見す。先づ彼れが神の存在を證明する所を見ば中世紀ぶりの實在論が明らかに其の根據を爲せるを知るべし。完全なるものは必ず實在てふことを含有すべきもの、言ひ更ふれば、完全なることの多き物は取りも直さず實在の多き物なりと云ふ如き、又因は其の完全なること、實在を有することに於いて果よりも少なきものなる可からずと云ふ如き、是れ皆同一の實在論的思想に基づけるものなり。また因果の關係は一切の物を支配して一物あれば其の因りて存在する何等かの因あらざる可からず、故に其れ自身が自らの存在の原因たりと見る可からざる時には必ず他のものが其の因たらざる可からずと云ふ如きも是れ亦彼れが在來の思想の中につき明瞭なるものとして發見せる所なり。此等傳來の思想はデカルトが哲學の根據、換言すれば彼れが思想の出立點(其の假定)を成せりといふも不可なし。而して這般の假定そのものに關する討究の尙ほ後に起こり來たることは以下近世哲學思想の