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モセス、ベン、マイモン(Moses ben Maimon

卽ち歐洲學者のマイモニデス(Maimonides)と名づけたる者なり。一千百三十五年コルドーヴに生まれ一千二百四年カイロ府に死せり。彼れは大體に於いてアリストテレースの說を奉じたれども猶太敎の立脚地より神は相と素とを共に無より造り出だしぬと唱へたり。(アヸセブロン已に彼れに先きだちて神が其の創造力卽ち意志を以て素卽ち物質を造りたりと說けり。)マイモニデスの後を襲ひたるをレヸ、ベン、ゲルシヨム(Levi ben Gerschom 一千二百八十八年頃に生まる)卽ち歐洲學者の所謂ゲルソニデス(Gersonides)とす、彼れはアリストテレースを硏究することマイモニデスよりも精しかりしが尙ほ多くはアヹロエスに從ひたり。

猶太學者間にも亦哲學に對して懷疑說を取り猶太敎の傳說を單純に信仰することを宗敎上必要なりとしたる者あり。ラッビ、イエフーダ、ハレーヸ(Rabbi Iehuda Halevi)是れなり。彼れは猶太學者間に於いて恰もアルガッヅァリがモハメット敎の學者間に取りし如き位置を取れり。