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は完全にして必然に存在するものなり、吾人は其の性質を限定すること能はず。而して之れに對して本來存在する物質あり、物質は單に可能性のものなり。凡べての動きは神より來たるものにして神は本來存在する物質を取りて世界を造り成したるなり。此の世界に完全ならぬものあり、秩序の缺けたるあり、又物の個々に差別せらるゝことあるは物質の然らしむる所なりと。卽ちアヸセンナは二元論を取れり。また曰はく、神によりて第一に(卽ち直接に)生ぜしめられたるものは原智(Intellegentia prima)にして是れ凡べての世界を司り又物質を取りて之れに定形を與ふるもの、また凡べての天體を初めとし吾人の住する大地に至るまで何處にも充ち亘りて宇宙の秩序を保ち活動を生ずるものなりと。

アヸセンナの所說に於いて特に注意すべき點は其の通性論なり。彼れ曰はく、通性は神の意中に在る觀念としては多なる物に先だちて(ante multitudinem)存在す、多なる物は神の意中にある觀念に象どりて造られたる者にして一種類の多なる物あるに先だちて其の種類の模範となるべき觀念は已に神の心に存在せる也。又一種類の事物に通じて言ひ得べき者としては、通性は多なる物の中に(in multitudine