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恰もプラトーンがイデア論に於いて說けりし所の如し。斯くしてエリゲーナは萬有は三段を成すと見たり。第一は神卽ち能造化にして所造化ならぬ自然(natura quae creat et non creatur)、第二は萬物の模範的原因にして一面所造化にして一面能造化なる自然(natura quae creatur et creat)、第三は唯だ所造化にして能造化ならぬ自然(natura quae creatur et non creat)即ち天地の萬象なり。

神は啻に萬物の太原なるのみならずまた萬物の窮極なり。凡べての物は神に歸入し和合することを以て其が終極の目的となす。エリゲーナは右述べたる三段階の外に造化せられたる萬物が神に復歸して彼れに一致和合する狀態を說けり。即ち前者に於ける開展(egressus)の方面と共に復歸(regressus)の方面あるを云へり。以爲へらく、是れ即ち能造化にもあらず所造化にもあらざる自然(natura quae nec creatur nec creat)なり、是れ即ち凡べての物が神を我が實性として能知なる主觀と所知なる客觀とが一に契合したる狀態なり、人間にていへば前に所謂知識的直觀によりて神と融合せる狀態なり。但し此等四段の狀態は實は一體を成せるものにして唯だ吾人の考ふる時にそを四段に分かつのみ、如實には其の間に時の前後なく皆