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且つまた嚴密なる意味に謂ふスコラ哲學の傍に流れたる神祕說よりいふも其は一個人が厚き敬神の心と深き宗敎的經驗とを基として立ちたるものなれば固より敎會の目的に援助を與ふる所あり。盖しスコラ哲學が動〻もすれば單に論理的、究理的、組織的に流れむとする傾向に對して深奧なる宗敎的確信を維持せむとしたるものは神祕家なりき。然れども他面より見れば是れはた敎會の敎理と權威とに對して不利なる傾向を有せる所あり。何となれば神祕說は個人が自家の意識に存在する實證を基とするが故にそれが敎會の定めたる敎理に合はむことを必すべからざれば也。

宗敎と哲學との一致を目的とせるスコラ哲學は道理と信仰とを相接觸せしむることに於いて其の辯證討究の結果往々おのづから敎會の敎理より見て正當ならざる論說に陷らむとしき。是れ其の學本來の目的よりして止むを得ざりし事なり。盖し信仰と道理との調和を計るといふ其の事は其が自然の結果として道理によりて敎會の定めたる信仰を牽强附會することを免るゝ能はざればなり。