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且つ其が根本思想は希臘哲學より來たれりとはいふものから其れが當時敎會敎理の形を成せる基督敎思想に和合したる故を以てまた多少當時に於ける新問題を解釋せむとしたる故を以て尙ほ其の中幾分在來の哲學に存せざりし新らしき趣きの生じ來たれることを忘るべからず。

中世紀に於いて希臘哲學は初めより善く知了せられたるにあらず。當時の學者が最初希臘哲學に關して有したる知識は極めて淺少のものなりしが後に至りて漸次希臘羅馬の哲學及び凡べての古代文物流れ込み來たり、而してスコラ學者はこれを用ゐて當時の羅馬敎會の理想に哲學的組織の表現を與へむとしたるなり。而して殊にそが組織の用に供せらるゝ材料を與へたるものはアリストテレースの哲學なりき。然れども希臘哲學を假り來たることは一方に於いて敎會を利したると共に他方に於いては其の信仰を維持する上に障碍を呈するの結果に至らざるを得ざりき。何となれば希臘に起こりし哲學的硏究は元來究理心の獨立を根據としたるものなれば其の硏究の進むに從ひ其れが敎會の信仰に對して獨立を唱へむとするに至るは自然のことなればなり。