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《其の一神敎的思想。》〔六〕彼等の說に於いて最も注意すべきは哲理よりも寧ろ實際的宗敎思想に在り。彼等は神を純なる靈と見て高尙なる一神敎を主張せむとせり。彼等は以爲へらく、吾人は神を敬せざるべからず而して神を敬するは淸淨なる生活を送らむが爲めなりと。彼等の人生を觀るや又其の根據を二元論に置けり、即ち靈と肉とを相對せしめ靈が肉によりて縛られ汚さるゝが罪惡の原因なりと考へたり。彼等は靈肉の爭ひを自覺するに至れるなり。彼等は淸き生活を以て専ら肉に屬するものを去るに在りとし肉食、妻帶、飮酒及び誓言等を禁じまた個人の私產を有することをも排斥せり。彼等はかくの如き修行を爲し凡べて吾人の肉に屬するものを抑壓して純潔なる靈の生活を送るを以て吾人の當さに力むべき所なりと見たれどまた之れを爲すには唯だ個人の自力にのみ依賴せず禮拜によりて神明の冥助を請ふを要すとし特別なる神明の啓示がピタゴラス又アポルロニオスの如き人に於いて人間に傳へらると考へたり。彼等は近く神明に接することによりて奇跡を行ひ豫言を爲す力をも得べしと思へり。要するに彼等に於いて哲學の要義は宗敎と化し哲學者は寧ろ祭司と化したるなり。