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るを信じて疑はざりしが後に至りては世間果たしてかくの如き圓滿なる理想の人(聖人)あるか、吾人の孱弱なる果たして能くかくの如き地位に達し得べき者なるかを疑ふに至れり。是に於いて彼等は初めに人間には賢人と愚人との二階級あるのみと考へたるを改めて尙ほ其の中間に漸次に進步し得る者また進步しつゝある者の階級を置き且つ愚人と雖も之れを見てただ濟度し難き者、共に語るに足らざる者として卑下するに代へて之れに對するに憐愍の情を以てするに至りぬ。殊に羅馬のストア學徒に至りて益〻然るを致したりき。且つ彼等に至りては宗敎的傾向益〻著るく、吾人の弱きこと、罪あること、自力のみにて全く善業を成就するの難き事、從ひて神明の冥助を要する事等の思想漸々に起これるを見る。
《ストア學徒の宗敎に對する見解、態度。》〔一三〕かくの如く羅馬時代に至りては宗敎的傾向益〻著るかりしが本來ストア學派は宇宙の理性是れ神なりと說く萬有神敎にして宗敎的方面を具ふるものなりき。彼等は天地の道に從ひ天命に安んずるを以て宗敎の極意となし心の淸きこと是れ即ち敬神の道なりとし眞正の宗敎は哲學及び道德と二ならざるものと見たり。そは知識の發達せる人々の宗敎に對する彼等の見なるが通俗の宗敎