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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/328

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ペリパテーティク學派

《ペリパテーティク學派、アリストテレースの著名なる門下。》〔三六〕アリストテレースの死後、其の學校の主座を占めしは彼れが親友にして博學なるテオフラストス(アリストテレースより年少なること十二歲)なり。彼れ多年敎授に從事し、又多くの著作をなし、アリストテレース學派即ち所謂ペリパテーティク學派の擴張に與りて大なる功績ありき。彼れは論理學に於いて多少アリストテレースの說に加へたる所あり。例へば假言的論法を三段論法の一種に加へたるなど其の一なり。哲學上大體の意見に於いてはもとよりアリストテレースの立塲を守れりしかども、第一原動力(究極原因)と世界との關係につき、又原動理性と受動理性との區別に就きてはアリストテレースの說に困難あることを指摘し疑ひを挾める所あり、また彼れの倫理說はアリストテレースの守持せし所よりも多くの價値を外物に置きたりといふ批評を受くれど、大體の點に於いてはもとより異なる所なし。

テオフラストスの外にアリストテレースの弟子として最も有名なるはロードス