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るは繪畫なり、音調を以てするは音樂なり、言語及び律呂を以てするは詩歌なり。

《詩論。》〔三五〕アリストテレースおもへらく、詩は歷史に優りて事物の實相を表はすと。後の學者これを解釋する一ならずと雖も多少近世美學者の所謂想化(又は酵化)と云ふことを認めたるならむか。現はさるゝ事柄により詩歌を上品なる者と下品なる者とに分かち、叙事詩及び悲劇を前者に屬せしめ、嘲罵の詩及び喜劇を後者に屬せしめたり。アリストテレースの詩論の保存せられたる所は劇詩の論(特に悲劇の論)に委し。喜劇の目的は觀者をして面白く可笑しく感ぜしむるに在り、即ち嘻笑の外にあらず。悲劇は觀客の恐怖の情と同悲の情とを起こさしむることによりこれを洗滌し去るを以て目的とす。これをアリストテレースの有名なるカタルジス(κάθαρσις 即ち洗滌)の論とす即ち悲劇は偉大なる人物が避け難き過失に陷り而してそれがために運命彼れを不幸に沈淪せしむる樣を描出せざるべからず。觀者は之れを看て一たびは慄然として恐れ又一たびは其の偉人の不幸に同情すべし。而して看客の心に生ずる結果は其の情の洗滌せられて瀟洒なるを覺ゆるにあり。