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然の結果として吾人の幸福に缺くべからざるものとせり。之れを要するにアリストテレースは德即ち道理に從へる吾人の精神的活動そのものを以て善福の中心的要素となし而してその德を行ふに要する條件として外物をも、又その德を行ふことの自然の結果として快樂をも、吾人の全き善福を成り立たしむる部分と見たるなり。

《德行の要素。》〔三一〕道理に從へる活動即ち理性が情欲を統御することは何に在りて存するか。アリストテレースは以爲へらく是れ吾人の性情の働きをして過不及の兩端を避けて中(μεσότης)を保たしむるところに在りと。即ち彼れに從へば德行は中を得るに在り。而して中なるものは算數的に測知し得るものにあらず塲合に應じて宜しきを得る活動にあり。然らば如何にして宜しきを見、中のある處を定むべき。他なしこれを定むるは知見の明らかなる者にあり(ソークラテースの敎學に根據せるを看よ)。然れども德を成すには唯だ知見のみを以て足れりとすべからず、一には其の地盤としてこれを成すに適せる禀性の存するもの莫かるべからず、又一には常に知見の指導に從うて行うて過らざらむには意志の修練を經ざるべ