Page:Onishihakushizenshu03.djvu/320

提供:Wikisource
このページは校正済みです

性が個人的存在に對し及び神に對して如何なる關係を有するかは彼れの說きのこせる所を以ては明らかに知ることを得ざるなり。

《理性二樣の作用。》〔二九〕理性(νοῦς)の作用に二樣あり、一は純知的の者(νοῦς θεωρητικός 即ち τὸ επιστημονικών)にして眞理の硏究そのものを以て其が目的とし他は行爲的のもの(νοῦς πρακτικός)又は(λόγος πρακτικός)又は(διάνοια πρακτική 即ち τὸ λογιστικόν)にして其が目的吾人の公私の生活に於いて如何に行動するが宜しきかを明らかにするにあり、前者の知識は純理觀(θεωρία)にして後者の働きは技能(τέχνη)を來たす。廣義に解すれば技能は公私の生活に於いて正當の行爲を認定する知慮として働くもの即ち道德に屬するものの外に製作(ποιεῖν)に關するものをも含む。美術は製作に屬するものなり。故に廣義もて總括して云へば理性の作用は一方には理智の直觀及び論理的推知を來たし、又一方には正當なる行爲及び製作を來たす。


倫理哲學

《オイダイモニア即ち善福の論。》〔三〇〕アリストテレース以爲へらく、人間の行爲は其の大なると小なるとを