Page:Onishihakushizenshu03.djvu/319

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ならむ。永遠に存在する所のものは唯だ原動理性あるのみ。思ふに此のアリストテレースの理性論がプラトーンの理性論に由來する所あるは明らかなり而して其の知識論上の必要に出でたることも明らかなり。以爲へらく、唯だ感官的知覺に基せる經驗のみを以て進み行く歸納的硏究は其の得る所遂に或然的知識に止まらざるを得ず、遍通必然の知識を得むには別に理性の直觀を要すと。

所謂原動理性は不死不滅なりと云へるを見れば、アリストテレースは靈魂不滅論を唱へたる者なりと云はむも不可なきが如し。然れども彼れは其の所謂不滅の靈魂をば個人の身體に結ばれたる精神とせずして寧ろ神性と同一なる遍通のものの如くに說ける所あるより、彼れが果たして死後に於ける個人の存在を認めたるか否かは後世彼れの學を奉ずる學者間に大に爭はるゝ問題となれり。彼れは恰も身體の相として靈魂(ψυχή)を說き靈魂の相として理性(νοῦς)を說けるが如く思はる。然れども彼れが所謂靈魂は身體を離れて存せざるもの其の所謂理性は身體並びに靈魂を離れて自存するものなれば理性が靈魂に對する關係は靈魂が身體に對する關係とは全く同一なりといふことを得ざる也。畢竟其の謂ふ原動理