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も殊別なる世界に屬するものの如く本來身體に結ばり居るものならずして更に一段高等なるもの、外より賦與せられしもの、而してそは身體と共に死せざる不滅のもの、神の永恒性に親しき所あるものなり。然れども此の理性は吾人に於いては決して圓滿完全なるもの即ち全く實現せるものにあらずして漸次に其の作用を現ぜむとしつゝある所のものなり而してそは其の作用を現ずる所の地盤を下等なる心作用に有すといふよりアリストテレースは理性を二分して受動理性(νοῦς παθητικός)及び原動理性(νοῦς ποιητικός〈此の原動理性と云ふ名稱はアリストテレース自ら用ゐたる所にあらず後に其の學派の學者間に始まれり〉受働理性と名づくるものは前きに說きし知覺、想像、槪念(論理學の條に謂へる歸納的心作用)の外にあらず、但だそれが原動理性の直觀を喚起する緣となる所を名づくるに外ならざるが如し。此の原動理性の直觀は最高の知識なり、能く事物に於ける遍通不易の理想を看取して疑ひを容れざる所のものなり。アリストテレースはかくの如き知識の因となるものを原動理性と名づけ緣となるものを受動理性と名づけたるが如し。彼れが受動理性を素とし潜勢とし又拭へる板に譬へたる如きも之れを以て原動理性の働きの實現さるゝ塲處と見たる