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トテレースの所謂ゆる原動者(πρῶτον κινούν)にして自ら動くことなくして他を動かすもの、相の方面のみありて些も素の方面なきもの、純粹の現勢にして毫も潛勢の方面なきもの、即ち圓滿に凡べてが實現され居るものなり。而して是れ即ち世界の凡べての事物の生起する所以の第一原因なり。原始の素は固より實在の相あるものにあらず寧ろ一切の實在の可能性即ち凡べての物の現成し得る性を謂ふに外ならずとはいふものから斯く一方の極端に相なき純粹の素を說き、他方に素なき純粹の相を說きて世界の萬物が其の間に段階を成すと見るに至りてはアリストテレースの論はプラトーンがイデアと非有とを設けたる如く遂に明らかに二元論となり了したりと云ひて不可なかるべし。
《アリストテレースの謂はゆる神。》〔二一〕アリストテレースは其の謂ふ原動者即ち純粹の相、純粹の現勢、凡べての圓滿に成れるものを神と名づく。彼れはこれにプラトーンが其の謂ふイデアに與へたる所の性質を附せり、プラトーンの謂ふ善のイデアがアリストテレースに於いては其の謂ふ神となれりと云ふべし。盖し其の謂ふ神は不變永久にして純一なるものなり物の個々に分かるゝは素を含みて未だ圓滿ならざる所あれば