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れ眞知識にして、また個性と相結ばれたる通性即ち事物の實體なりと考へたり。

《相素論の一元的方面と二元的方面。》〔一八〕かくの如くアリストテレースの哲學はよく二元論の過失を脫して希臘哲學在來の思想をば巧みに陶冶融合したるが如く見ゆ。即ち一元論にてありながら其の中に變動差別の存在する所以を說けり。然れども更に一步を進めて考ふれば未だ融合の至らずして尙ほ二元論に陷れる所あるを免れず。アリストテレースが相と素との關係を說くや二種の說き樣の相錯雜せるものあり。一の說き樣に從へば全く一元的にして事物が潛勢の狀態より現勢の狀態に移り行く段階の、見樣によりて相と素との別をなすに過ぎざる如くなれど、他の言ひ方に從へば相と素とを自ら相對するものの如く見て、彼れと此れとは相離れたるものにあらねど尙ほ素を形づくる因は素の中に存在して素を動かし形づくるものの如し。以爲へらく、相は內在的のものなれども素と異にして原動的のもの、素は之れに反して受動的のものなり、前者は形づくるものにして後者は形づくらるゝものなりと。此の關係は器物の譬喩に於いて最もよく現はれ來たるを見る。形づくらるゝ粘土の外に形づくる工人の趣向あり此の二者ありて始めて器物は造り上