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せるものならむ。其の外一はオイデーミア倫理學(ἠθικὰ Εὐδήμεια)と云ひオイデーモスの編纂せる所なるか又は彼れの筆寫せる所に據りて後に編纂せられしもの、他の一は大倫理學(ἠθικὰ μεγάλα)と名づけ前二者の拔萃によりて成れるものの如し。右の外政治學の著書(πολιτικά)あり。百五十八市府の制度を叙述したりと言ひ傳へらるゝ著作(πολιτείαι)は今は大抵失はれたれど亞典府の制度を叙述したるもの(πολιτεία Ἀθηναίων)此の頃に至りて發見せられたり。〈此れは始めて千八百九十一年龍動に於いて出版せられたり〉詩論(π. ποιητικῆς)の斷片及び修辭學も現存せり。

現存せるアリストテレースの著作は其の哲學上の意見の大成したる上に於いて著はしたるものと思はるれば其の著述の順序はプラトーンが對話篇に於ける如く其の哲學の解釋上肝要なる事件にあらず。大體の順序を云へば最初に論理上の著作次ぎに物理上及び心理上のもの、次ぎに倫理上のもの(或は倫理上の著作が自然科學上のものに先だてりしかも知るべからず)、メタフィジカの著述が「物理論」に後れたるや明らかなり。

《其の哲學の區分。》〔五〕アリストテレースは右の如く學科を分かちて硏究したれども其の哲學