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に從うて明らかなるべし。

プラトーンは子弟を敎ふるに當初は專ら對話を以てしたりし如く而してこれは其の師ソークラテースの模範に傚へるものならむが其の哲學硏究に委ねたる生活のさまに至りては已に大に其の師と異なれるものあり。ソークラテースは廣く訪ひ普く交はりて談話を試み硏究を促すことに於いて更に人と處とを問ふことなく頗る通俗的なる趣ありしがプラトーンに至りては哲學は世事と離れて別に唯だ學者の從事するものとなり專ら學校に在りて同志と共に攷究さるゝものとなれり。プラトーンは門閥の家に生まれたるを以て政治界に驥足を伸ばし得べき地位と機會とを有したれど當時亞典の政事は其の心に適はざるもの多く彼れは全くこれと關係を斷ちて一意哲理の硏究を以て其の畢生の事業となせり。

《プラトーンの著作。》〔二〕プラトーンの著作は槪ね對話の體にものしあり。其の結構或は頗る劇詩的活動を具へたるあり、或は講述體に近よれるあり、其の文雄渾莊麗を以て稱せらる。プラトーンが對話篇の少なくとも或者は文學上の著作として見るも實に得易からざる逸品なり。對話篇中述ぶる所特に一題目を限りて秩序的に論ぜる