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とに接して大に之れに服し其の門に入りて一身を哲理の硏究に委ねたり。是れより先きヘーラクライトスの流れを汲めるクラティロス(Κρατύλος)に哲學を聽けることあり。齡二十にしてソークラテースに師事したる以來八年間其の師の死するに至るまで其の門下に在りき。師歿して後直ちにメガラに遊びメガラ學徒と交り(ヘルモドーロスの記せる所に從ふ)其の後久しからずして更に漫遊の途に上りキレーネ、エジプト及び恐らくは其の他の地方をも遍歷したりしならむ。三百九十五年頃には一旦亞典府に歸りきとおぼし。彼れ當時已に著作を始めまた恐らくは敎授にも從事せしならむ。其の後三百九十一年の頃南部伊太利及びシヽリーに遊びて親しくピタゴラス學徒と交はり又シラクウサの朝廷に行きディオニシオスの義弟、ディオーンと相識れりしが其處の主權者ディオニシオスの意に觸れて俘虜の如く逆待せられ遂にスパルタの使者にわたされてアイギナの奴隷賣買地に送られたりしを或人に贖はれて自由の身となされたり。此の不幸の因由に就きては史家の間に異論あれども、ディオーンと相識りてシラクウサに於ける政事上の葛藤に關係したるに基因せりと云ふ說或は眞なるに近からむか。三百八十七年の