Page:Onishihakushizenshu03.djvu/222

提供:Wikisource
このページは校正済みです

當時斯くの如き乞食哲學者の出でたりしは之れを其の社會の狀勢より考ふれば決して意味なきことにあらず。此の時や希臘の社會は已に頽敗に傾き政治に道德に腐敗を極め民心懦弱に流れ文明の流弊また殆んど拯ふべからざる有樣にあり。キニク學徒は此の文明の流弊に反激して出でたるものなり。此の派の祖アンティステネースは親しくソークラテースが敎學及び性行の上に克己節欲の偉力を看取し己れに堅固なる意志だにあらば外物に依る所なくして我が心の福ひなることを得べしと考へたり、而して此の派の學徒は此の見地を安住の處として當時の社會を蔑視したる也。すなはち主觀が客觀を離れて自己に立て籠もらむとする傾向は此の派に於いて頗る著るくなりたり。

《アンティステネースの知識論。》〔九〕アンティステネースはソークラテースが敎學のうち主に心を其の實際的方面に着けたりしが知識論に於いても亦全く無頓著なりしにはあらず。彼れ思へらく、ソークラテースが所謂事物の遍通不易なる所に就きて立言せむには其の物それ自身を以て云はむの外なし其の物以外の物を以て云ふべからずそは其の物にあらざる物を以て其の物を言ひ表はす可からざればなりと。故に彼れの