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ろ之れを捨てゝ天然の狀態に居らざるべからずと唱へ又旣にソフィスト等の說けるが如く人爲もて定めたるもの(νόμος)と天然に定まれるもの(φύσις)とを相對せしめて曰はく吾人は人爲の所定に束縛せらるゝを要せず須らく天然の狀態に處るべしと。是に於いて此の派の思想は社會の制度を輕んじ世に謂ふ法律風儀を蔑視し世間の毀譽褒貶を冷笑し一切此等の束縛を脫して唯だ天然の狀態に處ることを貴び人間の自然に具ふる根本的欲求(食色の欲)には自由に從うて可なりと說くに至れり。斯かる理由を以てキニク學徒は往々世間の風儀と相容れざる行爲に出でて顧みる所なかりき。

《乞食哲學者の輩出。》〔八〕かくの如き思想より此の派の學者には家を捨てゝ乞食の生涯を送れるもの輩出しき。有名なるシノーペー人ディオゲネース(Διογένης)は家を捨て國を捨てて何れの國家にも屬せざるを誇れり。彼れ思へらく人間は宜しく野獸の群を成すが如くなるべし是れ天然の狀態なりと。其の外ディオゲネースの弟子にして終生乞食の生活に安んじたるクラテース(Κράτης)及び身は良家の女にてありながら彼れの妻となりて共に諸方を流浪したるヒッパルキア(Ἱππαρχία)の如きありき。