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らかに其の內容を提示せざりしかば、アンティステネースはこゝに其の說を結び來たりて曰はく、德行を除きて他に善なるものなし德行のみが吾人をして幸福ならしめ又吾人を幸福ならしむるものは唯だ此れのみを以て足れりとす、正當なる行爲其のものに於いて得る所の滿足是れ即ち吾人の幸福なりと。此の思想はソークラテースが福と德とを相離れざるものと見たるに本づけるなり。

《德行は外物に懸からず。》〔六〕德ある者必ず福ひなりと云はむには其の所謂德行は外物に懸かれるものならざるを要す。蓋し外物は吾人の隨意に左右し得るものならざれば若し外物に依りて初めて幸福を得べしとせば吾人は幸福を得ることを必すべからず。吾人若し心を外物に置きて富貴權勢を欲せば之れに束縛せらる。欲望は我れを外界に絆すものなるが故に吾人を幸福ならしむる德行は須らく此等の欲望を抑へて外界の束縛を脫するものなるべし。此の如き觀念よりしてキニク派の所謂德行は專ら消極的のものとなれり、即ち欲念を抑へて成るべく僅少の所有に滿足する邊に其が所謂道德を結び付けたり。

《文化の所造を輕んじて天然の狀態を重んず。》〔七〕此の思想の結果として此の派の學徒はあらゆる文化の所造を輕んじ寧