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じうせず。リッテル幷びにシュライエルマヘルは之れをソフィストの一流と見たり。然れども彼れが學術はソフィスト等の說く所と同一視すべきものにあらざるや明らかなり。史家多くは彼れをアナクナゴーラス等と相列べて希臘哲學第一期の結末に置く。(但しアナクサゴーラスのヌウス說を以てソークラテース以前の希臘哲學の立脚地を超脫したるものと見る史家は此のヌウス說を以て第一期の發達を結ぶ者となす、こは前にアナクサゴーラスの條にいへるが如し、又彼等史家の中にはエムペドクレース等の物理家とアナクサゴーラスとを全く相分かつもあり)。ヸンデルバンドはデーモクリトスをソークラテース以前の哲學者と相分かちて彼れをプラトーンと列べたり。其の理由とする所は一は時代、一は學相にあり。おもへらく、デーモクリトスの師事せしロイキッポスはエムペドクレース、アナクサゴーラス幷びにエレア派のヅェーノーン等と同時代の人なれどもデーモクリトスは其の後の人なり、彼れの晚年の著作はプラトーンの旣に壯なりし時に成れりきと見るも敢て不可なかるべし。學相の上よりいへばプロータゴラスの主觀說の影響を受けたる所あるが故に之れをソフィスト