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の者は、一旦あやまりて後には何程と悔ても、取返しのならぬ事なれば、吟味の上何遍も念入大事にかけべき事也、たとへ千萬人の內に一人誤り刑しても、天理に背き第一國持の大なる恥なり、不儀不孝並に人を殺せし類は、其罪顯然なれ共、それさへ隨分念入、增てまぎらはしき罪科の數々あるものなれば、何程も心を碎き誰人にも尋問て、しそこなひなき樣に工夫すべし、勿論それの小過に至る迄、篤と當る樣に勘辨すべし、平生宜しからぬとおもひたらん者は、猶更心を用ひ正理にたがはぬよう可取扱事也、常々の好惡微塵にしても蔽は、比興至極言語に述られぬ淺ましき事なり。

 世間の樣子をつら考見るに、何事も用らるべきもの、未志を得ざる初の程は、我こそ事を取行役義にも成たらば、上の御爲下の爲にも萬事滯らず程能して見せんと、心にも思ひ口にも言などして、もどかしき樣に申せ共、其職に成と否や常々の心には大きにたがひ、初め譏りし人と少しも替事なく、却て前の同輩の害になる事斗り思慮する樣に成事必あるは、皆々私欲卑賤の心がらに思案も替る也、夫は同じく上たる者も初の內は物珍敷、世間の人に賢君とも唱られべきと、隨分愼行へども、後にはそろ退屈の心出來る、政務も成合に覺、わけもなくとり亂す事也、秦の始皇は天下を一統せし程の光威盛にありしが、奢を極め放埓千萬の身持して、後には愚昧至極になりて不老不死の藥をもとむる樣に成行、纔の年數に亡び、其外漢の武帝、唐の玄宗なども、始の仕方とは後には大きに相違せしとぞ、さあれば最初の存念工夫も半ならざる內に、必くじけるものと見ゆるを愼み恐るべき事也、