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Page:Onchiseiyō.pdf/4

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故に慈と忍との二字を掛物二幅とこしらへ、慈の字の上には日の丸を書かせたり、慈は心の中にのみ隱れては、其詮更になし、外へ顯れ末々へも及び、隅々迄も照したき心にて、太陽の德を慕ひての事也、忍の字の上には月の丸を書せたり、堪忍は心の內にありて外へ顯れざる時の工夫故太陰の形を表せり、日月の二字をあはすれば則明の字也、大學の明德にも可叶歟、萬の事明かになくしては取まどふ事のみにて、宜敷正理に叶ふ樣に行れまじ、駕輿道具の者の衣服には仁の字相印に申付たり、是れ內に居ては慈忍の二字を見、外へ出ては仁の字を見、朝夕何方におゐても暫も忘れずして、執行勘辨止間敷がための工夫なり。

 和漢古今共に武勇智謀千萬人に勝れし名將甚限りなし、然るに功業終に成就せずして亡び失せ、子孫二代と續かざるは慈仁の心なく、私欲盛にして自分の榮耀奢を極め、人民を濟へるの本意曾てなかりし故也、東照宮、內には寬仁の御德備はらせ給ひて下々迄も御慈悲深く、御敵となりし者さへ心改め服すれば、其罪を御ゆるし被成、義の爲には御身を忘れさせ給ふ程の明君にて渡せられし故、御子孫枝葉迄も其御德を請つがせられ、千萬年限りなき御治世は、昔し王代にも稀にして、天下の政務武將の初より以來、御當家の樣なる四方すみまでも、ものいゝも少もなく、堅く御公法を守り、御仁政に服し奉りたる目出度御代はなき事なり、仁者に敵なしといへる古人の語尤至極の事なるべし。

 國政の事に萬一誤りたる事ありても、忽改め直す時は本理に叶ひて、其過も消宜く事濟、唯刑罪