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とは、異國アダシクニのさだなり、

異國アダシクニは、天照大御神の御國にあらざるが故に、サダまれるキミなくして狹蠅サバヘなす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をしトリつれば、賤しきヤツコも、たちまちに君ともなれば、カミとある人は、下なる人にウバはれじとかまへ、下なるは、上のひまうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみにアタみつゝ、古より國ヲサまりがたくなも有ける、が中に、威力イキホヒありサトり深くて、人をなづけ、人の國をウバひ取て、又人にうばゝるまじき事量コトバカリをよくして、しばし國をよく治めて、後のノリともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云なる、たとへばミダれたる世には、タヽカヒにならふ故に、おのづから名將ヨキイクサノキミおほくいでくるが如く、國の風俗ナラハシあしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世々にそのすべをさま思ひめぐらし、ならひたるゆゑに、しかかしこき人どももいできつるなりけり、然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからにクスしきイキホヒあるものと思ふは、ひがことなり、さて其聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、かゝれば、漢國カラクニにして道と