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Page:Naobinomitama4.pdf/18

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いたくコトなるをや、

さて其道の意は、此フミをはじめ、もろ古書イニシヘブミどもをよくアヂハひみれば、今もいとよくしらるゝを、世々のものしりびとゞもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみマドひて、思ひとおもひ、いひといふことは、みなホトケカラとのコヽロにして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある、

は道といふ言擧コトアゲなかりし故に、古書どもにつゆばかりも道々ミチしきコヽロコトバも見えず、カレ舍人親王トネノミコを始め奉て、世々の識者モノシリビトども、道の意をえとらへず、たゞかの道々ミチしきことこちたく云る、からブミコトのみ、心のソコにしみツキて、を天地のおのづからなる理と思る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、彼方カナタへのみ流れゆくめり、されば異國アダシクニの道を道の羽翼タスケとなるべき物と思ふも、卽心のかしこへウバはれつるなりけり、大かた漢國のコトは、かの陰陽乾坤などをはじめ、諸皆モロ、もと聖人どものオノサトリをもて、おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞には、ことわりフカげにきこゆめれども、カレ垣內カキツハナれて外よりよく見れば、ナニばかりのこともなく、中々にアサはかなることゞもなりか