Page:Naobinomitama4.pdf/10

提供:Wikisource
このページは校正済みです

そも天地アメツチのあひだに、有とある事は、悉皆コトに神の御心なる中に、

凡て此中の事は、春秋のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、ヨキアシき萬事、みなことに神の御所爲ミシワザなり、さて神には、ヨキもありアシきも有て、所行シワザもそれにしたがふなれば、大かた尋常ヨノツネのことわりを以ては、ハカりがたきわざなりかし、然るを世人、かしこきもおろかなるもおしなべて、外國トツクニの道々のコトにのみマドひはてゝ、此意をえしらず皇國の學問モノマナビする人などは、古書イニシヘノフミを見て、必べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知ざるは、いかにぞや、抑ヨキアシき萬の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、カラの道々には天命といひて、天のなすわざと思へり、これらみなひがことなり、そが中に佛コトは、多く世の學者モノマナブヒトの、よく辨へつることなれば、今いはず、漢國カラクニの天命のコトは、かしこき人もみなマドひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これをアゲツラひさとさむ、抑天命といふことは、彼國にて古に、君をホロボし國をウバひし聖人の、オノが罪をのがれむために、かまへイデたる託言コトツケゴトなり、まことには、天地は心ある物にあらざれば、メイあるべくもあらず、もしまことに天に心あり、コトワリもありて、善人ヨキヒトに國をアタ