ば、下なる諸人のうへにも、善惡きしるしを見せて、善人はながく福え、惡人は速けく禍るべき理なるを、さはあらずて、よき人も凶く、あしき人も吉きたぐひ、昔も今も多かるはいかに。もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや。さて後ノ世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、世ノ人の諾なはねば、うはべは禪らせて取こともあるをば、よからぬことにいふめれど、かの古ヘの聖人どもゝ、實は是に異ならぬ物をや。後ノ世の王の天命ぞといふをば、信ぬものゝ、古ヘ人の天命をば、まことゝ心得をるは、いかなるまどひぞも。古ヘは天命ありて、後にはなきこそをかしけれ。或人、舜は堯が國をうばひ、禹も又舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有ルべきことぞ。後ノ世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりを受て嗣つれども、實は簒へるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、上ツ代は朴にして、禪れりと云ヒなせるを、まことゝ心得て、國內の人ども、みなあざむかれにけらし。かの莽操がころは、世ノ人さかしくて、あざむかれざりし故に、惡きしわざのあらはれけむ。かれらが如くなる輩も、上ツ代ならましかば、あはれ聖人と仰がれなましものを。
禍津日神の御心のあらびはしも、せむすべなく、いとも悲しきわざにぞありける。
世間に、物あしくそこなひなど、凡て何事も、正しき理リのまゝにはえあらずで、邪なることも多かるは、皆此ノ神の御心にして、甚く荒び坐時は、天照大御神高木ノ大神の大御力にも、制みかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし。かの善人も禍り、惡人も福ゆるたぐひ、尋常の理リにさかへる事の多かるも、皆此ノ神の所爲なるを、外國には、神代の正しき傳說なくして、此ノ所由をえしらざるが故に、たゞ天命の說を立テて、何事もみな、當然理を以て定めむとするこそ、いとをこなれ。
然れども、天照大御神高天原に大坐〻て、大御光はいさゝかも曇りまさず、此ノ世を御照しましまし、天津御璽はた、はふれまさず傳はり坐て、事依し賜ひしまに〳〵天の下は御孫命の所知食て、
異國は、本より主の定まれるがなければ、たゞ人もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、亡びうせもする、古ヘよりの風俗なり。さて國を取ラむと謀りて、えとらざる者をば、賊といひて賤しめにくみ、取リ得たる者をば、聖人といひて尊み仰ぐめり。さればいはゆる聖人も、たゞ賊の爲とげたる者にぞ有リける。掛まくも可畏きや吾天皇尊はしも、然るいやしき國〻の王どもと、等なみには坐まさず。此ノ御國を生成たまへりし神祖命の、御みづから授賜へる皇統にまし〳〵て、天地の始メより、大御食國と定まりたる天ノ下にして、大御神の大命にも、天皇惡く坐シまさば、莫まつろひそとは詔たまはずあれば、善く