Page:Naobinomitama.pdf/12

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よろづの事は、神の御心より出て、そのシワザなることをしも、えしらねば、オホムネイタくたがへる物をや。

もししひてモトむとならば、きたなきからぶみごゝろをハラひきよめてスガしきミクニごゝろもて、フルキフミどもをよくマナびてよ。シカせば、ウケオコナフべき道なきことは、おのづから知てむ。しるぞ、すなはち神の道をうけおこなふにはありける。かゝればカクまでアゲツラふも、道の意にはあらねども、マガビノ神のみしわざ、つゝナホえあらず、カムナホビノオホナホビノ神のミタマたばりて、このまがをもてナホさむとぞよ。

カミクダリ、すべてオノが私のこゝろもていふにあらず。ことフルキフミに、よるところあることにしあれば、よくむ人は疑はじ。

かくいふは、明和のヤトセといふとしの、かみな月の九日の日、伊勢飯高ミタミ、平阿曾美宣長、かしこみかしこみもしるす。