く現今彼等の中に見ることの出來ぬものがある、云はゞケヤピテンクツク氏の南洋航海書などで、歐化せられて居らぬ時の南洋土人の土俗を知る樣なものでしやう、
千島土人の還元的土俗は最も人類學上大切なるものである、彼等土人は今日僅かに六十餘人で、これが死でしまつたらば、最早彼等を見やうとしても見られぬのである、殊に彼等固有の土俗は今日までに十中の八九までは殆んど(
讀者はすでに彼等の言語に付て、前章を御讀みになつたでありましやう、讀者は其言語に付ていかに考へて居られますか、余はこれに付ては聊か考へがある、其は外でない、彼等は古來北千島に棲つて居つたから其言語中、附近のアリユート語とか、カムチヤダール語などの混雜はあるのであらうと思 はるゝのである、こは何人も起る所の考であります、しかるに余は自から彼等の言語を蒐集し、文法を調査して見るに、其言語、文法は疑ふ可からざるアイヌ語にして、余は未だ其言語中カムチヤダール語や、アリユート語を發見することが出來なかつた、果して然らば彼等の言語は明かにアイヌ語であります、しかし蝦夷アイヌと少しく異なて居る所もある、こは久しく分離した結果、(判読困難)遂にかくの如き現象を呈して來たのでしやう、かく考へて見れば、千島アイヌのアイ