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Page:NDL992519 千島アイヌ part2.pdf/3

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岩の多き所
Ukaup.
凹き所
Uashine.
淺瀨で急流
Pe't chintunashi.
…間(山なれば)
Ukuturu.
Pē.
Wakka. は蝦夷アイヌの語なり
惡き
Wen.
Satéki.
Ya.
冷かなる
Yam.
上がる
Yerikun rikine.
破れる
Sashikà.
Seshikibe.
Yuk.
千島アイヌ固有の竪穴及び女子
人類學敎室所藏寫眞 (著者撮影)

第七章 千島アイヌの土俗(序論)

千島土人當時の土俗は、スラポニツク的の所が中々多い、一見露西亞の田舍百姓の樣です、又今日は色丹移住後 日本風も中々多く雜て來た、されば現時彼等土人に付て千島固有の土俗を見るは最も困難である、しかし吾人に最も大切、必要なるは後者なりと云はねばなりません、

余は占守、ポロモジリの歸途、軍艦武藏と色丹島にて別れ、玆に上陸し、殆んど一ヶ月間ほど身を千島土人の中に投じ、出來得べきだけ、彼等の土俗中より固有の土俗を還元して見ました、然るに今日は尙ほ老人が少しく殘つて居つた爲めに、余は思ふたよりも、多くの材料を得るに至りました、余がこれから記載せんとする土俗は決して現今彼等の示せる土俗でなく、還元した土俗でありまずママ、さればこの篇記する事實中、多