なんち會せさらむことを。則公かいはく、丙丁は火に屬す、火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと會せり。禪師のいはく、まことにしりぬなんち會せさりけり。佛法もしかくのことくならは、けふまてつたはれし。ここに則公懆悶して、すなはちたちぬ。中路にいたりておもひき禪師はこれ天下の善知識。又五百人の大導師なり。わか非をいさむる、さためて長處あらむ。禪師のみもとにかへりて懺悔禮謝してとふていはく、いかなるかこれ學人の自己なる。禪師のいはく、丙丁童子來求火と。則公このことはのしたにおほきに佛法をさとりき。あきらかにしりぬ、自己卽佛の領解をもて佛法をしれりといふにはあらすといふことを。もし自己卽佛の領解を佛法とせは、禪師さきのことはをもてみちひかし、又しかのことくいましむへからす。たたまさに、はしめ善知識をみむより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禪辨道して、一知半解を心にととむることなかれ。佛法の妙術それむなしからし。とふていはく、乾唐の古今をきくに、あるいはたけのこゑをききて道をさとり、あるいははなのいろをみてこころをあきらむる物あり、いはんや釋迦大師は、明星をみしとき道を證し。阿難尊者は、剎竿のたふれしところに法をあきらめしのみならす。六代よりのち、五家のあひたに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。かれらかならすしも、かつて坐禪辨道せるもののみならむや。しめしていはく。古今に見色明心し、聞聲悟道せし當人、ともに辨道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるへし。とふていはく、西天およひ神丹國は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、佛法を教化するに、いとはやく會入す。我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりかたし。蕃夷のしからしむる、うらみさらむや。又このくにの出家人は大國の在家人にもおとれり。擧世おろかにして心量狹少なり。ふかく有爲の功を執して、事相の善をこのむ。かくのことくのやから、たとひ坐禪すといふともたちまちに佛法を證得せん
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