ひまなく衞護するかゆゑに、王化太平なり。聖化太平なれは、佛法そのちからをうるものなり。又釋尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の會下には、獦者樵翁さとりをひらく。いはんやそのほかの人をや。たた正師の教道をたつぬへし。とふていはく。この行は、いま末代惡世にも修行せは證をうへしや。しめしていはく、教家に名相をこととせるに。なほ大乘實教には、正像末法をわくことなし、修すれはみな得道すといふ。いはんやこの單傳の正法には、入法出身、おなしく自家の財珍を受用するなり。證の得否は、修せんものおのつからしらむこと、用水の人の冷煖をみつからわきまふるかことし。とふていはく、あるかいはく。佛法には、卽心是佛のむねを了達しぬるかこときは、くちに經典を誦せす、身に佛道を行せされとも、あへて佛法にかけたるところなし。たた佛法はもとより自己にありとしる、これを得道の全圓とす。このほかさらに佗人にむかひてもとむへきにあらす。いはんや坐禪辨道をわつらはしくせんや。しめしていはく。このことは、もともはかなし。もしなんちかいふことくならは、こころあらむもの、たれかこのむねををしへんにしることなからむ。しるへし、佛法はまさに自他の見をやめて學するなり、もし自己卽佛としるをもて得道とせは、釋尊むかし化道にわつらはし。しはらく古德の妙則をもてこれを證すへし。むかし則公監院といふ僧法眼禪師の會中にありしに。法眼禪師とふていはく、則監寺なんちわか會にありていくはくのときそ。則公かいはく。われ師の會にはんへりて、すてに三年をへたり。禪師のいはく。なんちはこれ後生なり、なんそつねにわれに佛法をとはさる。則公かいはく。それかし和尚をあさむくへからす。かつて靑峰の禪師のところにありしとき、佛法におきて安樂のところを了達せり。禪師のいはく、なんちいかなることはによりてか、いることをえし。則公かいはく、それかしかつて靑峰にとひき、いかなるかこれ學人の自己なる。靑峰のいはく。丙丁童子來求火。法眼のいはく、よきことはなり。たたしおそらくは
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