行をかね修せん、さまたけあるへからすや。しめしていはく。在唐のとき、宗師に眞訣をききしちなみに、西天東地の古今に佛印を正傳せし諸祖、いつれもいまたしかのこときの行をかね修すときかすといひき。まことに、一事をこととせされは一智に達することなし。とふていはく、この行は、在俗の男女もつとむへしや、ひとり出家人のみ修するか。しめしていはく、祖師のいはく。佛法を會すること男女貴賤をえらふへからすときこゆ。とふていはく出家人は、諸緣すみやかにはなれて、坐禪辨道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して無爲の佛道にかなはむ。しめしていはく。おほよそ、佛祖あはれみのあまり、廣大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を證入せしめんかためなり、人天たれかいらさらむものや。ここをもて、むかしいまをたつぬるに、その證これおほし。しはらく、代宗順宗の帝位にして、萬機いとしけかりし、坐禪辨道して佛祖の大道を會通す。李相國、防相國、ともに輔佐の臣位にはんへりて、一天の股肱たりし。坐禪辨道して、佛祖の大道に證入す。たたこれこころさしのありなしによるへし。身の在家出家にかかはらし。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのつから信することあり。いはんや世務は佛法をさふとおもへるものは、たた世中に佛法なしとのみしりて、佛中に世法なき事をいまたしらさるなり。ちかころ大宋に馮相公といふありき。祖道に長せりし大官なり。のちに詩をつくりてみつからをいふにいはく、公事之餘喜坐禪、少曾將脇到牀眠。雖然現出宰宦相、長老之名四海傳。これは、宦務にひまなかりし身なれとも、佛道にこころさしふかけれは、得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかかみるへし。大宋國には、いまのよの國王大臣士俗男女、ともに心を祖道にととめすといふことなし。武門文家、いつれも參禪學道をこころさせり。こころさすもの、かならす心地を開明することおほし。これ世務の佛法をさまたけさる、おのつからしられたり。國家に眞實の佛法弘通すれは、諸佛諸天
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