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Page:NDL823139 承陽大師聖教全集 第1巻 part1.pdf/54

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嚴教、ともに大乘の究竟なり。いはむや眞言宗のこときは、毘盧遮那如來したしく金剛薩埵につたへて師資みたりならす。その談するむね、卽心是佛、是心作佛といふて、多劫の修行をふることなく、一座に五佛の正覺をとなふ、佛法の極妙といふへし。しかあるに、いまいふところの修行、なにのすくれたることあれは、かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや。しめしていはく、しるへし佛家には教の殊劣を對論することなく、法の淺深をえらはす。たたし修行の眞僞をしるへし。草花山水にひかれて佛道に流入することありき。土石沙礫をにぎりて佛印を稟持することあり。いはむや廣大の文字は、萬象にあまりてなほゆたかなり、轉大法輪、又一塵にをさまれり。しかあれはすなはち卽心卽佛のことは、なほこれ水中の月なり、卽坐成佛のむね、さらに又かかみのうちのかげなり。ことはのたくみにかかはるへからす。いま直證菩提の修行をすすむるに、佛祖單傳の妙道をしめして、眞實の道人とならしめんとなり。又佛法を傳授することは、かならす證契の人をその宗師とすへし。文字をかぞふる學者をもてその導師とするにたらす。一盲の衆盲をひかんかことし。いまこの佛祖正傳の門下には、みな得道證契の哲匠をうやまひて、佛法を住持せしむ。かるかゆゑに、冥陽の神道もきたりし歸依し、證果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさつけすといふことなし。餘門にいまたきかさるところなり。たた佛弟子は佛法をならふへし。又しるへしわれらはもとより無上菩提かけたるにあらす。とこしなへに受用すといへとも、承當することをえさるゆゑに、みたりに知見をおこす事をならひとしてこれを物とおふによりて、大道いたつらに蹉過す。この知見によりて、空華まちまちなり。あるいは十二輪轉、二十五有の境界とおもひ、三乘五乘有佛無佛の見つくる事なし。この知見をならうて、佛法修行の正道とおもふへからす。しかあるをいまはまさしく佛印によりて萬事を放下し一向に坐禪するとき。迷悟情量のほとりを