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Page:NDL823139 承陽大師聖教全集 第1巻 part1.pdf/52

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るをもて、一塵をうこかさす、一相をやふらす、廣大の佛事、甚深微妙の佛化をなす。この化道のおよふところの草木土地、ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きはまるときなし。草木牆壁は、よく凡聖含靈のために宣揚し、凡聖含靈はかへつて草木牆壁のために演暢す。自覺覺他の境界、もとより證相をそなへてかけたることなく、證則おこなはれておこたるときなからしむ。ここをもて、わつかに一人一時の坐禪なりといへとも、諸法とあひ冥し、諸時とまとかに通するかゆゑに、無盡法界のなかに、去來現に、常恆の佛化道事をなすなり。彼彼ともに一等の同修なり、同證なり。たた坐上の修のみにあらす。空をうちてひひきをなすこと、撞の前後に妙聲綿綿たるものなり。このきはのみにかぎらむや、百頭みな本面目に本修行をそなへて、はかりはかるへきにあらす。しるへし、たとひ十方無量恆河沙數の諸佛、ともにちからをはげまして、佛知慧をもて、一人坐禪の功徳をはかりしりきはめんとすといふとも、あへてほとりをうることあらし。いまこの坐禪の功徳、高大なることをききをはりぬ。おろかならむ人、うたかうていはむ、佛法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禪をすすむるや。 しめしていはく。これ佛法の正門なるをもてなり。とふていはく。なんぞひとり正門とする。しめしていはく。大師釋尊、まさしく得道の妙術を正傳し。又三世の如來、ともに坐禪より得道せり。このゆゑに正門なることをあひつたへたるなり。しかのみにあらす。西天東地の諸祖、みな坐禪より得道せるなり。ゆゑにいま正門を人天にしめす。とふていはく。あるいは如來の妙術を正傳し、または祖師のあとをたつぬるによらむ、まことに凡慮のおよふにあらす。しかはあれとも、讀經念佛はおのつからさとりの因緣となりぬへし。たたむなしく坐してなすところなからむ、なにによりてかさとりをうるたよりとならむ。しめしていはく。なんぢいま諸佛の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもはん。これを大乘を謗する人とす。まとひのいとふかき、大