するを、その開悟のまさしきみちとせり。西天東地、さとりをえし人、その風にしたかへり。これ、師資ひそかに妙術を正傳し、眞訣を稟持せしによりてなり。宗門の正傳にいはく、この單傳正直の佛法は、最上のなかに最上なり、參見知識のはしめより、さらに燒香禮拜念佛修懺看經をもちゐす、たたし打坐して身心脱落することをえよ。もし人、一時なりといふとも、三業に佛印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな佛印となり、盡虛空ことことくさとりとなる。ゆゑに、諸佛如來をしては本地の法樂をまし、覺道の莊嚴をあらたにす。およひ十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明淨にして、大解脱地を證し、本來面目現するとき、諸法みな正覺を證會し、萬物ともに佛身を使用して、すみやかに證會の邊際を一超して、覺樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を轉し、究竟無爲の深般若を開演す。これらの等正覺、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふかゆゑに、この坐禪人、確爾として身心脱落し。從來雜穢の知見思量を截斷して、天眞の佛法に證會し。あまねく微塵際そこはくの諸佛如來の道場ことに、佛事を助發し。ひろく佛向上の機にかうふらしめて、よく佛向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫、みな佛事をなすをもて。そのおこすところの風水の利益にあつかるともから。みな甚妙不可思議の佛化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。この水火を受用するたぐひ、みな本證の佛化を周旋するゆゑに、これらのたぐひと共住して同語するもの、またことことくあひたかひに無窮の佛徳そなはり、展轉廣作して。無盡、無間斷、不可思議、不可稱量の佛法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれとも、このもろもろの當人の知覺に昏せさらしむることは、靜中の無造作にして直證なるをもてなり。もし凡流のおもひのことく、修證を兩段にあらせは、おのおのあひ覺知すへきなり。もし覺知にましはるは證則にあらす、證則には迷情およはさるかゆゑに。又、心境ともに靜中の證入悟出あれとも、自受用の境界な
Page:NDL823139 承陽大師聖教全集 第1巻 part1.pdf/51
表示