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Page:NDL823139 承陽大師聖教全集 第1巻 part1.pdf/49

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正法眼蔵辨道話

諸佛如來、ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これたた、ほとけ佛にさつけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐參禪を正門とせり。この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへとも、いまた修せさるにはあらはれす、證せさるにはうることなし。はなてはてにみてり、一多のきはならむや。かたれはくちにみつ、縱橫きはまりなし。諸佛のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覺をのこさす。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覺に方面あらはれす。いまをしふる功夫辨道は、證上に萬法をあらしめ、出路に一如を行するなり。その超關脫落のとき、この節目にかかはらむや。予發心求法よりこのかた、わか朝の遍方に知識をとふらひき。ちなみに建仁の全公をみる。あひしたかふ霜華すみやかに九廻をへたり。いささか臨濟の家風をきく。全公は祖師西和尚