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Page:NDL1190952 太平洋を越えて part2.pdf/66

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へらず口をたゝきながらはしを越えると、美しい若い娘が二人國境こくきやうの方へ步いて來る。もう夜の一 時をぎでママゐるのに。

『ようございましたよ。こんなに容易よういに通れるとは思ひませんでした。昨年さくねん東京とうきようからお出でにな つた△△省の課長くわちやうさんを乘せて來ましたが、先生少し威張ゐばりましたので、明朝來いと云はれて、た うとうホテルに泊りましてね。』と、運轉手うんてんしゆもうれしさうに云ふ。

月の無い夜だ。運轉手うんてんしゆはしつかり者だが、萬一にも坐睡ゐねむられては大變だと思ふので、時々用も無 いのにこゑをかける。いろんな話が出る。アメリカにゐる移民の狀態じやうたいが種々相となつて見えて來る。

ベーリングハムといふ小い町へ來た時、もうほんのりと明るいので時計とけいを見ると丁度ちやうど三時だ。

大分だいぶ來ましたがまだ百哩近くございますよ。』

『ゆつくり行つて下さい。十時までにシヤアトルの町へ着けばいゝんですから。』

『五時半には大丈夫だいぢやうぶきます。』:

邪魔物じゃまものの無いすべつこい路上をシボレーは氣持きもちよく走る。冷い風が心地よく顏をでる。

『おう、火事くわじですよ!』

運轉手うんてんしゆの聲に右手を見ると、一軒の家の窓から眞黑まつくろい煙が渦をなして噴き出してゐる。ちろ と紅いしたが見える。

消防車せうばうしやが來た。消防夫は一語を發しないで默々もくとしてホースを引き水を注ぐ。かねをたゝくでなし 極めて靜かなものたママ近所きんじょとなりの人たちも默つて窓からのぞくくらゐで、火事くわじらしい氣分がない。

『タイヤを取りへますから、ゆつくり御覽ごらんなさい。』

運轉手うんてんしゆは車を停めて、ごとんごとんとやり始めた。私共はぢつと火事くわじが如何にして消されるかを 十分の注意ちゆういをもつて見た。

實に落着いてゐる。ことに彼等の性格せいかくを現はした一事は、小いひさしえてゐるのを消さない事で あつた。どうせ水をそゝいだ所で、もはや何の役にも立たないひさしである。燃えるまゝにえ落ちさせ て、肝心かんじんな所にのみ力をそゝいでゐる。

一人が梯子はしごをかけて黑煙こくえんを物ともせず二階の窓から入つた。そしていろんな物が投げ出された。 駈けつけた若い婦人ふじんが梯子から二階に登らうとするのを、消防夫せうばうふが制止した。 間もなく、すつかり鎭火ちんくわはしたが、家は七八分燒けてしまつた。それから全くけむりの立たなくなつ た頃、私共の自動車じどうしやは走り出した。

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シヤートルヘ着いた翌日よくじつワシントンレーキ周圍しうゐを一巡して有名なブルーバードからワシントン大學構內かうないに來た。其の校門には途方もない大きなジヨウジ・ワシントンの銅像どうざうが建つてゐる。數年